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ひと段落着いたころに森の墓へと向かう。
村から徒歩3分で到着する墓には多くの人々が何世紀かにわたり眠っている。墓の中には男女が二人ずつ眠っている。パートナーより先に亡くなった場合は、一人でしばらく小さい墓で待っているそうだ。また祀るときは水牛か豚を墓に供えるそうだ。

残された家族にお金が貯まり、亡くなった者達の新しい新居を構えるまでほぼ毎日お祈りに来なければならないという。

村に戻り、村長に挨拶に行く、彼の眠る予定の棺は自宅の下に備え付けられていた。

川を下り、中国人、ラオ村へと向かう。中国の内戦時に逃げ延びてきた国民党民(45家族、約300人)がのんびりと暮らしているのだ。

両民族はそれぞれのスタイルの建物で軒を並べている。
ちなみに、中国人の男性はラオ族の女性と結婚することができるが、ラオ族の男性は中国人の女性とは結婚できないらしい。
理由は簡単。中国人はラオ族と較べて頭が良いとされ、お金を稼ぐ能力の高い中国人としては、お金を稼ぐ能力の無いラオ族の夫を持つことは考えられないということだ。

川を渡り、ボート乗り場に戻り簡単な昼食をとった。

さて、再びバイクに乗り、オーチュムのクルン族の村(トンノンラック)へ向かう。

以前は新郎の家、新婦の家とあったのだが、新郎の家は倒れ落ちてしまっていた。

参考に持っていっていたDACの1号を開くとクルン族の男性が民族楽器を持っている写真があったが、彼はもう亡くなっていた。
一緒に写っていた彼の奥さんはまだ元気で、本を見せると喜んでいたので、置いて帰ることにした。

村から少し先にはストーンフィールドが残っていた。

行きと比べ、かなり乾いた道路をバンルンまで戻った。

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